50代、女ひとり旅ログ

~持病があるため、もっぱらひとり旅です~

大浦天主堂&キリシタン博物館へ。あぁ、号泣……!

大浦天主堂が眼の前にその姿を現した瞬間、私はなんともいえない気持ちになりました。

 

一歩一歩、近づくにつれ、自然と目に涙が溢れてきます。

 

(……なんで私、泣いてるんだろ)

 

そう思いはしたものの、涙は今にも瞳から零れ落ちそうになっています。

 

さすがに周囲の視線が気になってしまった私はササッと目元をハンカチで抑えると、階段を登り受付へと進んだのでした。

 

 

大浦天主堂(世界文化遺産)

「大浦天主堂」駅で路面電車を降りると、私はまず近くのお店で昼食をとりました。

 

このお店がこれまた素晴らしかったので、別記事でご紹介したいと思っています。

 

「ANAクラウンプラザホテル」――実は12年ほど前に家族で長崎を訪れた際、こちらのホテルに泊まりました――を左手に見ながら、坂を登っていきます。12年前と変わらず、お土産屋さんが軒を連ねています。

 

そして坂を登りきったところで、バーン!!と目に飛び込んできたのが、大浦天主堂です。

 

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そう。実は12年前にこの前を家族で通ったんです。

 

でもその時は、この外観を眺めただけで、天主堂の中を見学することはしませんでした。

 

というのも、娘が嫌がったんですよ~。

 

「教会なんて、どこも同じようなもんだ」と……。

 

でも後で中に入らなかったことをめちゃくちゃ後悔したんです。

 

その理由については、何枚か大浦天主堂の写真を御覧頂いてから、お話したいと思います。


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大浦天主堂の正式名称は、「日本ニ十六聖殉教者聖堂」といいます。

 

1597年に長崎の西坂で殉教した日本ニ十六聖人に捧げられた教会だからです。

 

そのため、大浦天主堂は殉教の地、西坂に向けて建てられています。

 


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(↑ 2018年には大浦天主堂を含む「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録されました)

 


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その歴史的背景からか、青空よりも曇天が似合ってしまう大浦天主堂……

 

 

門前のマリア像がはっきりと見えてきました。

 


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天主堂を拝観する前に、中庭に出てみることにしました。

 

ここからさらに私の興奮は止まらなくなっていきました……

 

 

信徒発見の舞台

遠藤周作『沈黙』と『女の一生 一部・キクの場合』

大浦天主堂とキリシタン迫害の歴史は切っても切り離すことができません。

 

私が日本におけるキリシタン迫害の壮絶かつ残酷な歴史について詳しく知ったきっかけは、遠藤周作の『沈黙』でした。

 

『沈黙』読了後、私は家族と長崎を旅し、帰宅しました。

 

それからしばらくして、遠藤周作の『女の一生 一部・キクの場合』を読んだんです。

 

こちらの作品には、大浦天主堂が大切な大切なキーとして描かれていました。

 

それで、中を拝観することなく帰宅したことを後悔したわけです……

 

 

今回、ひとりで長崎を訪れるに際し、『女の一生 一部・キクの場合』を改めて読み直してみました。

 

もう、ボロボロ涙を流し、ヒックヒックしゃくりあげながら読みましたよ。

 

この作品は、特に女性には響きすぎるくらい響くのではないかと思います。

 

キリシタン迫害の歴史に特に興味のない方にも読んでほしい名著です。

 

以下にあらすじをご紹介したいと思います。

 

長崎の商家へ奉公に出てきた浦上の農家の娘キク。活発で切れながの眼の美しい少女が想いを寄せた清吉は、信仰を禁じられていた基督教の信者だった……。激動の嵐が吹きあれる幕末から明治の長崎を舞台に、切支丹弾圧の史実にそいながら、信仰のために流刑になった若者にひたむきな想いを寄せる女の短くも清らかな一生を描き、キリスト教と日本の風土とのかかわりを鋭く追求する。

(遠藤周作『女の一生 一部・キクの場合』より)

 

この作品には史実である「信徒発見」のシーンが描かれています。

 

1865年3月17日、禁教令下において密かに信仰を守ってきた潜伏キリシタンが、大浦天主堂のフランス人神父・プティジャンに信仰を告白します。

 

これが、「信徒発見」です。

 

<凄まじい数のキリシタンが殉教に追い込まれてきた日本で、まさかもうキリスト教を信仰している日本人はいないだろう>

 

と、誰しもが思っていた(プティジャン神父は違った)ところに、「実はわたしら、キリシタンです」と告白してきてくれた。。。

 

ということですね。

 

このプティジャン神父は実名で『女の一生 一部・キクの場合』に登場しています。

 

この「信徒発見」について、私のてきとうな説明ではなく、きちんとした資料を引用させてもらった方がよい気がしてきましたので、以下に載せますね。

 

 大浦天主堂献堂から1か月、3月17日に宗教史上の奇跡「信徒発見」が起こる。翌日のプティジャン神父の手紙はいう。

 昨日12時半頃、男女子供を合わせ12~15名の一団が天主堂の門にいました。私が聖堂に案内して祈ると、40歳ないし50歳位の婦人が胸に手をあてて申しました。

 「私共は、全部あなた様と同じ心でございます。浦上では全部の人が同じ心を持っております」

 そしてこの婦人は私に聞きました。

 「サンタ・マリアの御像はどこ?」

 私が聖母像の祭壇に案内すると、喜びのあまり口々に言いました。

 「本当にサンタ・マリアさまだ! 御子イエズスさまを抱いていらっしゃる」

 

『大浦天主堂物語』より引用(大浦天主堂を拝観するといただけます)

 

中庭


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(↑ 「信徒発見」の様子が描かれています。右上段にサンタ・マリア像)

 


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(↑ プティジャン神父像。神父は大浦天主堂の聖所床下で眠っています)

 

 

中庭を見学後、天主堂の中を拝観させていただきました(もちろん撮影は厳禁)

 

向かって右にマリア像があり、私はしばしその前から動けなくなりました。

 

「……ここが、信徒発見の舞台……!」

 

遠藤周作の『女の一生 一部・キクの場合』で描かれていた信徒発見のシーンが、ありありと目の前に浮かんでくるのを感じました。

 

そしてここで、キクが……(ネタバレを防ぐため、ここまでとしておきます)

 

 

マリア像の前で動けなくなっている私の前を、次から次へと観光客の人たちが通り過ぎていきます。

 

天主堂内に足を踏み入れると、皆さんたいてい正面のキリスト像前に腰掛けます。

 

そして信徒発見とマリア像について音声案内が流れてくると、たまにチラッとマリア像を眺める人はいるものの、「ふーん」という心の声が聞こえてくるようでした。

 

興味がないことが悪いことだとはまったく思いません。

 

私のように、尋常ではないほどの関心を寄せている方がおかしいのかも(ちなみに私は無宗教です)。

 

ただ、なんとなく、「もったいないなー」とは思いました。

 

こんな宗教史上の奇跡の舞台を前にして!

 

遠藤周作先生の、あの傑作の舞台を前にして!

 

 

 

(……って、あなた、12年前に中を拝観しないでしれっと帰ったわよね? それこそ、もったいないことしてるんじゃなーい?)

 

マリア様、そこは触れないでおいてください……笑

 

 

 

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(↑ 西坂に向かって建つ大浦天主堂)

 

 

キリシタン博物館

ここからは、大浦天主堂敷地内の「キリシタン博物館」へと向かいます。

 

2018年、天主堂敷地内にある国指定重要文化財「旧羅典(らてん)神学校」と、県指定有形文化財「旧長崎大司教館」が、「大浦天主堂 キリシタン博物館」として生まれ変わったとのこと。


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(↑階段を途中で左に曲がるとすぐに博物館が)


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(↑ 「旧羅典神学校」出口から見た天主堂)


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(↑ 「旧長崎大司教館」の出口から見た天主堂)

 

いやー、かなり見応えがありましたね。

 

特に印象に残っているのは、「津和野の三尺牢」の展示です。

 

「浦上四番崩れ」で捕えられた浦上キリシタンのうち28名は、島根県、津和野の町外れにあった光淋寺という廃寺(現在は「乙女峠 マリア聖堂」とされ見学可能)に流されました。

 

そこではキリシタンたちを「転ばせる=棄教させる」ために、とても人間のすることとは思えない残酷な策がいくつもとられました。

 

そのうちのひとつが、三尺(90センチ四方)の牢に閉じ込め、雪の中放置するというものでした。

 

遠藤周作の『女の一生 一部・キクの場合』の主人公・キクが一途に思いを寄せる浦上のキリシタン・清吉は、津和野に流されました。

 

清吉は三尺牢に五日間閉じ込められます。その箇所を引用したいと思います。

 

 それは幅も高さも三尺しかない箱で壁には暑い松板をうちつけ、屋根に物を入れる穴が一つ、口をあけていた。立つことも足を伸ばすこともできなかった。

(中略)

 やがて腰や背が苦しくなり、尿が怺えきれなくなった。首に鈍痛が拡がった。清吉は右手で首をもみ、耐えきれぬ尿を漏らした。

遠藤周作『女の一生 一部・キクの場合』より

 

若い清吉は酷く衰弱はしたものの、なんとか命は取り留めました。

 

史実として、既に歳をとっていた者や元々体が弱かった者は、自身の排泄物にまみれて亡くなっていったそうです……

 

本当に、人間の所業とは思えません。

 

その後、新たに125名のキリシタンがこの地に送られました。

 

計153名のキリシタンのうち、飢えと寒さ、拷問の末、亡くなったのが41名。苦しさに耐えきれず棄教したのが54名。

 

最後まで信仰を守り抜いたのは、68名だったそうです。

 

長い者で5年、短い者で3年、彼らはこの津和野の地で想像を絶する苦しみに耐え暮らしていたのでした。

 

祈念坂

大浦天主堂を後にした私は、天主堂の左脇道を歩いてみました。

 

右に進む人は数多おれど、左に進むのは私だけ。

 

すぐに墓石がたくさん見えてきて「やっぱり引き返そうかなぁ…」と弱気になりました笑

 

ですがこの道は、遠藤周作先生が愛した道。

 

この坂をゆっくりと登りながら、創作のアイディアを練られていたのではないかと思うと、急にワクワクしてきました。


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(↑ 左が大浦天主堂)

 

少し登って振り返ると、遠くに海が見えました。

 

船に乗せられ津和野に流されていく清吉を、キクはこの辺りの場所から見送っていたのかもしれません。

 

 

息が上がってきたため坂を登るのを諦め引き返すと、大浦天主堂で見かけたご夫婦らしき二人連れとすれ違いました。

 

ですが、1分後に戻ってこられました。

 

それくらい、ちょっとこの道は寂しいというか……

 

私も遠藤周作先生のエピソードがなければ秒で引き返していたはずです笑

 

 

 

 

大寒波が襲う最中の長崎再訪でしたが、この日は特に私の中で忘れられない一日となりました。

 

なぜ、無宗教の私がこんなにもキリシタン弾圧の史実に惹かれるのか。

 

そういえば、私は幼い頃から、

 

「私の前世は、天草四郎な気がする」

 

と、うそぶいていたそうです(驚愕ですよね?!)

 

まぁ、天草四郎はさすがにない気しかしませんが、ひょっとしたら前世は潜伏キリシタンだったのかも……

 

 

 

そんなことを想像しながら、長崎空港へと向かい帰路についたのでした。

 

 

おわり。

 

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