与えるんじゃなくて…(ちょい毒吐きます)
日曜日は外出する気がおきず、夏恒例の一日中やる某番組にチャンネルを合わせては飽きて他のチャンネルに…を繰り返していました。
某番組、例年良いなと思う場面もあるにはあるのですが、どうも好きになれないのが出演者たちによる「自分たちが○○をすることで、テレビをご覧の皆さんに少しでも勇気を与えられたら…」や「笑顔をお届けしたい」などという言い回しです。
いや、言いたいことはわかるんですよ?
でもなぁ…「与える」ってちょっと引っかかるんですよねぇ。
これに対して、好感をいだいたのは次のような言い回しでした。
「こんなご時世ですけど、○○を見て少しでも気が晴れたり、笑ってもらえたら」
先程も書きましたが、「笑顔をお届けしたい」は好きじゃないんです。そもそも意味もよくわかりません。
あなたの笑顔をお届けされても鬱陶しいですし、こちらを笑顔にさせようという意味での「お届け」だったら、押し付けがましさを感じてしまいます。
でも、「笑ってもらえたら」という表現は、自分たちが勝手にやっていることを見て「アホやな~😂」「楽しそう♪」って笑って見てもらえたら嬉しいですという意味ですよね。これは、とても好感度が高いです。
勇気や感動を感じるかどうかは、私たち受け手側の問題です。
それなのに、勝手に与えたり届けられても困ります。
日曜の昼間、その番組内でフィギュアの羽生結弦選手が、無観客の中すばらしい演技を披露されていました。
さすがの羽生選手。コメントに上から目線や押し付けがましさは微塵も感じませんでした。
こういう言葉の言い回しに、その人の品格や知性を感じます。
「日本中に元気を与えたい」「コロナ禍で苦しい思いをしている人たちに、元気と勇気を届けたい」…こういうのはちょっと…
何度もいいますが、元気になるかどうか、勇気が出るかどうかは、視聴者側の問題なのです。
以前に他のブロガーさんも書いておられましたが「エンターテインメントの力」という表現にも違和感を覚えます。
「エンターテインメントの力で、日本を元気に!」などと言われても、げんなりします(オタクなので、エンターテインメントが人にポジティブな影響を与えることはもちろん知っています)
「これから私なりに一生懸命歌います。ちょっとでも気分転換していただけたなら嬉しいです♪」これくらいのスタンスで良いのではないかと思います。
そういえば、むかしあるコンサートでアイドルが「今日がんばるのは僕らです。皆さんにはリラックスしてもらって、あー楽しかった♪って思って帰ってもらえたら僕らはとっても嬉しいです!」って言っていて、爽やかでいいなぁと思ったのを思い出しました。
ここで「一生忘れられない感動のステージをお届けします!」などと言われてしまっていたら、やはりげんなりしていたことでしょう。。。
どうやら私は、自分(たち)のやることに<高尚な意味づけ>をされると、ちょっとした嫌悪感をいだいてしまうようです。
タレントが、ふだんの仕事のあいまにちょこっと何かを練習して、セミプロのような人たちの助けを借りてパフォーマンスを披露する。
そのようなときには「このような機会をせっかくいただけたのですから、一生懸命がんばります。見守っていただけたら嬉しいです」くらいで良い気がするのです。
わざわざそちらで高尚な意味づけをしてくれなくても、必要があればこちらで勝手に感動しちゃいますからご心配なく、です😂
今日はちょっと毒を吐きました。
あくまでも個人的な感想なので、「そうかなぁ?」と思われる方も多いことでしょう。こんな人もいるんだな、と流してくださいね。
しかし、こうやって書いてみて気付いたのですが、自分も気をつけなければですね…
ブログを続けることに高尚な意味づけなどはしない方がよいのでしょう(もともとしてませんが)。
ボケ防止と、誰かに自分の書いた文章を読んでもらうことの喜びを知ってしまったから…といったところでしょうか。
あとは純粋に書くのが楽しいからですね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
毒吐いちゃって、すみませーん(._.)
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