年賀状やインスタって何なんだろう?
今年、父が他界したため、喪中はがきの準備をすることになりました。
どなたに送るかを決めるため、2020年と2019年にいただいた年賀状をチェックすることにしました。
私は友人・知人が少ないため、受け取る年賀状も少な目です。
(夫は自分で出す分は自分で用意します。娘はそもそも年賀状を出しません笑)
簡単にチェックが終わるだろうと思っていたのもつかの間、私は過去の年賀状を読み返しながら少しショックを受けていることに気付きました。
今日の記事は若干暗めです。
たまにはこういうこともあるよということで。
年賀状もマウント合戦の場なの?
過去に受け取った年賀状の一例をご紹介したいと思います。
- 「下の娘は4月から○○に通うことになりました」(○○には超有名幼稚園の名前が入ります)
- 「私はいま○○に勤務しています(○○には超有名企業が入ります)」
- 年賀状に、その年に家族で旅した先(3, 4箇所)で撮った写真を載せ、その旅先を逐一解説。
受け取ったときにはあまり何も思わなかったのですが、自分の心が寂しいときや弱っているときって、こういう内容はちょっと…なんていうか、受け取る側にまったく思いを馳せてないな~って思ってしまいます。
相手を気遣う文章があったうえで上のような内容が続くのならいいのですが、そうではありません。
一方的に、自分はこんなにすごいんだぞー!惠まれてるんだぞー!アピールです。
そんな中、ホッコリさせてもらったのは、次のような年賀状でした。
- 「今年も一緒に○○を頑張りましょうね」
- 「いつも本当にありがとうございます」
- 「変わらずご活躍されているようで、嬉しく思います」
人というものは、自分に言及してもらえるとやはり嬉しいものですよね。
感謝の気持ちや、「一緒に○○しましょう」といわれると、心がホンワカします。
反対に、思わず絶句した年賀状がコチラ。
「○○さん(共通の知人)が亡くなったそうです…」
… 年賀状に書きますかね?ふつう。
しかも、他には何も書いてなくて、この一行だけですよ?
正直、ちょっと神経を疑いました。
話が少し逸れました。
元に戻します。
年賀状ってきっと、無事また新しい年を迎えられることを互いに喜び、相手の新しい一年が幸多きものとなるよう祈る行為なんだと思うんです。
マウントとる場じゃないんですよね。
でもマウントとってる年賀状を受け取ったということは、私も自覚なしにそういうたぐいの年賀状を送っていたのかもしれません。
反省しています。
今年は父を亡くし、人生観が180度といってもいいくらい変わりました。
なんやかんやいって、これまでは年齢だけは重ねていても、子供っぽかったなと思っています。
やっと本当の大人になったといえるのかもしれません。
人生観が変わると、いろんなことがおかしいと思うようになりました。
今までは見過ごしてきたことです。
例えば、インスタです。
最近インスタって何なんだろう?と思い始めています。
インスタでちょっと傷ついた話
私はインスタの鍵アカウントを持っていて、顔出しをして様々な投稿をしていました。
しかし、現在は投稿もしていませんし、他の人の投稿を見てもいません。
というのも、次のようなことがあったからです。
先日、父が亡くなったことをインスタで報告しました。
自分がいちばん「友だち」だと思っている人たちが集まっているのがインスタだったからです。
コメントはしにくいかと思い、コメント欄はクローズにしました。
そんな中、おひとりだけがLINEから連絡をくださり、お悔やみの言葉を述べてくださいました。
その言葉に私は救われ、この人は他人の心の痛みがわかる素敵な人だと思いました。
この方のように、個人的に私に連絡をとろうと思えば、インスタのDMでもLINEでもとれるはずでした。
でも、その他の人たちからは特に何も言われることはありませんでした。
でもまぁ、ここまではまだいいのです。
私もコメント欄を閉じていたわけですし。
「人って、こんなもんなのかなぁ」と少し傷ついたのは、私が見ているかもしれないのに、その後もアイドルがどうしたこうしたの投稿がバンバンなされていたことです。
なんだかこの世界で実際に繋がっていて、一緒に食事をしたり会話を楽しんだことのある実在の「私」より、所詮は違う世界の人で、繋がることなんてない「アイドル」の方がこの人たちにとっては大事なんだ…と思ってしまいました。
ひがみといえば、ひがみなのかも。
でも、「私たちの関係って、こんなもんだったのかぁ…」
って、思いました。正直。
自分は軽んじられてるって思いました。
ご本人たちにはそんなつもりはなかったのかもしれませんが。
こういうことを書くと、
「自分が悲しい気持ちだからって、他人にも悲しい気持ちになるのを強いるのか!」
と思う方もいるかもしれませんね。
確かにそうともいえます。
でも私はちょっと悲しかったんです。
それと同時に、自分は人に期待していたんだなと痛感しました。
自分に興味のない人たちに期待するなんて、ほんと馬鹿です。
それからというもの、インスタは完全にストップしていて、再開する気もいまのところはありません。
私はこのブログで何度も「友だちが少ない」と書いています。
友だちが少ないと感じているのは、上述の出来事があったからでもあります。
そして、誰かと友だちになるということが、どういうことなのかもわからなくなっています。
友だちが少ないことで特に不便も寂しさも感じませんし、しばらくはこのままでいいかなと思っています。
そして、今後自分が年賀状を書くときには、相手に思いを馳せた内容にしたいなと思っています。
「人を大切にしてはじめて自分も人として扱われる」
そんな気がしています。
それと同時に
「他人に期待しては駄目だ」
とも思っています。
とはいえ、老後に完全なボッチ状態になるのは少し不安です。
いつかは勇気を出して交友関係を広める努力をしなければですね。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
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