私がスタバに通う理由~欲張りな自分と闘う
私はスタバで仕事や勉強をするのが好きです。
少なくとも週に3回はスタバに行っています。
こういうと、「コーヒーなんて家でも飲めるのに、主婦が無駄遣いして」と感じる人もいることでしょう。
しかし、私にとってスタバで過ごす時間は「世の中の人々とまじわる」そして「自分を見つめ直す」ための大切なひと時なのです。
大学の非常勤講師になるまで
私はよく悩み、よく考えるタチです。
そんなに考えて、よく疲れないねと自分で自分にツッコミを入れたくなるほど、考えまくっています。
私は大学時代からいわゆるキャリア志向というか、社会に出て活躍したいという欲が強い方でした。
しかし、新卒で就職した会社ではルーティーンワークやお茶くみばかりで、自分が思い描いていたような仕事をすることはできませんでした。
思い切って自分の能力を活かすことのできそうな企業に転職もしました。
しかし、今でいうパワハラに遭い、体を壊して辞めるというオチがついていました。
世の中には、自分が想像もつかないような底意地の悪い人や腹黒い人がいるんだということも知りました。
そしておそらく、自分はあまり打たれ強くないということにも気が付きました。
「自分には、会社勤めというものが向いていないのかもしれない」
徐々にそう思うようになりました。
30代に差し掛かった頃、一念発起して超難関資格の勉強を始めました。
資格があれば、サラリーウーマンとしてではなく「一国一城の主」として仕事に励むことができると考えたからです。
しかし、世の中そう甘くはなく、その資格取得の夢は叶いませんでした。
どうやらそこまでの頭脳と体力は自分には備わっていないようでした。
さてどうするか。
(この後、他の資格取得や挫折などを挟みますが割愛します笑)
自分は高校生の頃から亡き父に「おまえは大学院に進むといい。コツコツと努力できることは才能だよ。大学で研究をするといい」そう言われていました。
しかし若かった自分は反発し、「大学院なんていう閉鎖的な空間ではなく、広い世界に出て活躍したい!」と言い張っていました。
本当の自分を見抜いていたのは亡き父であり、自分は自分のことを何もわかっていなかったのだということを、後で思い知りました。
30代の後半で、父の言葉通り大学の聴講生となり、その後大学院に進学しました。
大学院での生活は自分にピッタリで、毎日がとても楽しかった。
「お父さんは仕事人間で、一緒に過ごした時間は決して多くはなかったけれど、私の性質を見抜いていたんだなぁ」
つくづくそう思いました。
月日は流れ、今は細々とですが大学で非常勤講師として働いています。
生前、父にそのことを伝えると、
「やっぱりお前はできるんだよ。よかったな。そのまま、がんばれ」
そう言ってくれました。
人間とは欲張りなもの
なんとか社会の中での自分の立ち位置を見つけた私ですが、考えすぎで欲張りな性質に何ら変わりはありません。
「もっと何かできるのではないか。もっと活躍できる場があるのではないか」
油断すると、すぐにそんなことを考えてしまうのです。
そんなときはスタバに行きます。
私がよく利用するスタバでは、勉強や仕事をしている人がとっても多いです。
若く体力のありそうな人たちが、分厚い参考書片手に何時間も勉強をしていたり、普通のお勤めではなく自由な仕事をしていそうな雰囲気の青年が、携帯を片手にPC操作をしている姿などを目にすると、ハッと目が覚めるのです。
こんなにも気力・体力にあふれた若者たちが、これだけ真剣に物事に取り組んでいる。
これからの時代を背負っていくのは、こういう若者たちなんだ。
そう思うと、自分の欲張りな心がスーッとどこかへ消え去るのを感じます。
そして、
「いま自分が持っているものを大切にしよう。細々とはいえ、大学で教えるということは誰にでもできることではない。自分の武器を磨くことに集中しよう」
素直にそう思えてくるのです。
ブログを書くこと
家にひとりでいると、「もっと何かできることはないか」とつい考えてしまいがちな自分にとって、社会の一部とまじわることのできるスタバでの時間はとても大切です。
主婦であり、たまにしか出勤しない自分の世界はやはり狭いと思うからです。
それでも時々、欲張りな自分が顔を出します。
そんな気持ちを発散させてくれるのが、このブログです。
ブログを書くことで、広い世界に自分の経験や思考を「発信」することができていると感じます。
自分の内から湧き出てくることを文字にし、誰が読んでもおかしくない状態に置くというその行為が、私にとってはとても重要なのです。
「スタバ通い」と「ブログを書くこと」
それは、欲張りで考えすぎなタチである自分を救い、いま持っているものを大切にしなければと思わせてくれる大事な習慣です。
元来欲張りな性質だから、今の年齢や体力のことをつい忘れてしまい、もっと他の何かができるんじゃないかと思ってしまう。
けれど、人間って結局のところ、そんなにたくさんのことはうまくできないんじゃないか。
そんなふうに思っています。
ある程度の年齢になったときに、小さいながらも何らかの武器を持っているということ。
それは確実に「その人に合った何か」なのであり、それを大事に育てることが次の自分に繋がる。
きっとそういうものなのだと思います。
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