過去ではなく未来を見たい〜「身近な人の死」から半年が過ぎて
いつもブログを読んでくださり、本当にありがとうございます。
今日は、最近感じている大きな心境の変化を書き留めておこうと思います。
父の死から半年間
このブログでも何度か記事にしましたが、私は昨年の秋に父を亡くしました。
亡くなった直後はなんだか現実味がなく、しばらくしてから悲しみが深くなっていったように思います。
私は両親が歳をとってからの子なので、私と同年代の方々はまだまだご両親はご健在なのではないかと思います。
それもあり、周りの人と悲しみを共有することもあまりできませんでした。
お風呂に入っているときや、ひとりで外を歩いているときに、ふと父の顔が浮かんでは涙をこぼしてしまうという日々が続きました。
「こんなにお父さんのことばかり考えていたら、心配で成仏できなくなってしまうのではないか…」
そんな心配をしてしまうほど、父の死は私に大きなショックを与えました。
気がつくと、父に話しかけていることも少なくありませんでした。
私は友人がほとんどいないので、悲しみを共有できる人は家族しかいません。
でも、夫は言ってみれば「他の家から来た人」ですし、若い娘にしつこく自分の気持ちを語ることはやはりはばかられます。
自分の感情を吐き出す場所がないぶん、どんどん内省的になっていき、気付けばブログ記事も暗めなものが目立った時期があったように思います。
思えば、この頃の私の視点は、<過去>を向いていました。
視点が<過去>に向くあまり、強度HSPである自分がこれまでに味わってきたつらい経験などを記事にしたいと思うようになっていたのでしょう。
父の死から半年が過ぎて
過去を振り返り、経験から学んだことを記事にしたことは、それなりに意味があったと思っています。
読んで下さった方のなかには、記事に共感してくださったり、「こういうふうに考えればよかったんですね!勉強になります」のようにコメントをしてくださる方々もいたからです。
ですが不思議なことに、3月末の博多・湯布院旅行がきっかけとなり、私のメンタルは大きく変化を遂げました。
湯布院の旅館に家族で宿泊し、3度も温泉につかりました。
娘と<家族風呂>という名の、貸し切り湯にも入りました。
とっても気持ちがよくて、ガチガチになっていた体や心が溶けていくような感覚でした。
たかが温泉、されど温泉。
そのヒーリング効果は決してあなどれません。
旅行中は、水炊きや郷土料理、博多ラーメンなどをモリモリ食べ、私はすっかり違う人間のようになって帰ってきた気がしています。
父の死からちょうど半年と少しが過ぎた頃の出来事です。
<未来>を見たい
博多・湯布院旅行以来、私は父の写真を見ても泣かなくなりました。
ひとりでいるときに悲しくなり、涙ぐむというようなことも、もうありません。
父の写真をリビングに飾ってあるのですが、写真を見ては「がんばるから、見ててね!」と心の中で話しかけています。
なぜなら、父は「がんばる私」が大好きだったからです。
「がんばる」という言葉が昨今では嫌われつつあるようですが、父が私に対して言っていた「がんばれ」は、愛情あふれるものでした。
結果を必ず出せという意味の「がんばれ」ではありません。
「前を向きなさい」という意味の「がんばれ」だったのです。
そのことを思い出しました。
やっと、過去ではなく未来を向けるようになった気がしています。
これからも、自分の昔の経験をベースにした記事も書くと思いますが、記事のカラーが少し変わってくるかもしれません。
気分がこれだけ変わったのは、前述の旅行だけではなく、街中にあふれる色とりどりのお花の力もある気がしています。
以前読んだ文章にこんなものがありました。
ー 身近な人の死に遭遇すると、直後はあまり実感が湧かず、徐々に深い悲しみに没する。無気力・喪失感に襲われ、非常につらい時期を過ごす。故人に対する後悔の念にさいなまれる人も少なくない。
ただし、ここを過ぎると、故人との楽しかった思い出を頻繁に浮かべるようになる。故人を思うときに、涙ではなく笑顔になっていることが多いことに気付くときがくる。
このような内容でした。
まさしく、私が体験したとおりのことです。
今では、父を思い出すときの私は笑顔です。
未来に向かって、笑顔で「がんばって」いきたいと思っています😊
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
皆さん良い一日をお過ごしくださいね♪
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