報われたいという思い。
先日、感激のあまりつい涙がこぼれてしまった。
私のYouTubeチャンネルの視聴者さんが、「先生の動画をひとつ目からすべてノートに書き写して勉強しています。大変わかりやすいです」とコメントをくださったのだ。
教育系YouTubeチャンネルを運営する意味
私はYouTubeで、某外国語の授業を行っている。
現在の登録者は375人で、公開動画数は70弱だ。
チャンネル運営を始めた理由はひとつではないが、最も大きかったのが、
「自分が持っている知識を本当に必要としてくれる人と出会いたい」というものであった。
私は大学で講師をしているが、皆さんご存知のとおり、学生がみな私の授業に興味があるかというと、そんなことはまったくない。
先日も「○○語、まったくわかりません。でも卒業はしたいので、単位ください」とアンケートに書いてきた3年生がいた^^;
中には熱心に授業を聴いてくれる子もいることにはいるが、決して多くはない。
そんな中で、「この言語を学びたくて学びたくて仕方のない人」と出会いたいという思いが日に日に強くなっていったように思う。
人は、報われたい生き物
YouTubeを立ち上げてから8ヶ月が経過した。
運営開始から半年が過ぎた頃からコメントが増えはじめ、いまでは視聴者の方からのコメントが私の原動力となっているように思う。
「これまで○○語に関する動画をたくさん見てきましたが、先生の動画が一番わかりやすいです!」
「まさしく目から鱗でした!」
「これまで挑戦を避けていましたが、先生の動画を見てやる気が湧いてきました!」
このようなポジティブな反応をもらえたときには、一日中幸せな気持ちになる。
YouTubeの動画撮影は決してラクなものではない。
しかも現段階では完全なるボランティア状態だ(登録者が1,000人を超えないとお金にはならない)。
それでも続けられている理由。
冒頭でご紹介したコメントを読んだ瞬間、その理由に気付いてしまった。
私は「報われたい」のだと思う。
これまでの人生で、私は専門分野の習得に多くの時間・お金・エネルギーを使ってきた。
それらを「のれんに腕押し」の環境で消耗させて終わらせたくない。
本当に必要としている人のために役立てることで、「自分がこれまでに頑張ってやってきたことは無駄ではなかった」と思いたいのだ。
「努力が報われた」
そう感じたいのだとわかった。
正直なところ、お金が入ればもっともっと嬉しい。
しかし、お金が入らないからといって、嬉しい気持ちややりがいがゼロになるわけでもないのだ。
人は社会的な生きもの
HSPで友だちもいない自分だが、やはり人との関わりなしでは生きてはいけないのだなと最近つくづく感じる。
「他の人がいるから、自分も生きていけている」
そんなふうに思えるようになってきた。
これからも、自分の知識を必要としてくれる見知らぬ誰かのために、がんばって続けていきたい。
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