自分に向いている闘い方。
アラフィフになっても、まだ考えています。
なにをかって?
「自分の活かし方」そして「闘い方」をです。
オリンピック選手を見ているとつくづく思うんです。
「よくその競技と出会えたよね?!」って。
まぁ、親がその競技をやっていて幼い頃から英才教育を受けていた人も多いとは思います。
でも、すべての人がそうというわけではなさそうです。
オリンピックに出られるほど自分に向いている何かに出会えたっていうだけで、メダル関係なしに選手たちはラッキーな人生を歩んでいるんじゃないかと思えます。
あ、でも今日は向き不向きの話をしたいのではなくて、「向いている」と思った後の「闘い方」についてです。
「環境の力でペラペラ」に対するコンプレックス
高校生の頃、自分は英語に向いているのではないかと思っていました。
というのも、英語のテストの点数がクラスでいつも一番良かったですし、当時の英語の先生に「マリベルさんは津田塾に行って英語の先生になるといい」と言われていたからです(当時は英語といえば津田塾だったのです)。
ですが、私にはコンプレックスがありました。
それは「発音」です。
同じクラスに、幼いころ英語圏で暮らしていた子がいました。
私はその子に文法や読解などの点数では勝っていましたが、発音の点では大幅に劣っていました。
クラスの子たちに、たまにそれを指摘されることもあり、恥ずかしい思いもしました。
その帰国子女をそばで見ていたせいか、英語を専門にするのは不利な気がした私は、結局英文科には進みませんでした。
それでも好きな英語をバッサリ捨て去るのはもったいないと思っていたため、大学で<国際交流>を目的としたサークルに加入しました。
自分のような<英語好きな子>が集まってきているのでは?と期待していました。
ところがどっこい、蓋を開けてみたら帰国子女だらけでした。
自分の居場所が見つけられなかった私は、そのサークルから早々に離脱しました。
その頃になると私は「家庭環境のおかげで外国語をペラペラ喋れるようになった人に対するコンプレックス」のようなものを自分がいだいていることをハッキリと自覚したのでした。
自分に向いている闘い方
大学ではフランス語を専攻しました。
英語に比べて帰国子女の数は少ないだろうと想像していたのですが、それは確かにそのとおりで、私のコンプレックスが刺激される機会はほとんどありませんでした。
ところが、です。
社会人になってから、出逢いました。
父親の仕事の都合でフランスで生まれ育ったような人たちです。
そういう人たちは、もうネイティブなんですよね。
こちらがどんなにがんばっても、太刀打ちできません。
彼らに何でなら勝てるかといったら、もう「日本語力」しかないわけで。
私が研究活動に力を入れるようになったのも、おそらく自分がこの分野で生き残るには日本語力を駆使するしかないと思ったからです。
「外国語を喋る」という能力においては彼らに絶対に勝てませんが、外国の文化や社会、言語に関することを「日本語」で分析するのであれば、勝算はじゅうぶんにあります。
結局のところ、私が長年いだき続けてきた「家庭環境のおかげで外国語をペラペラ喋れるようになった人に対するコンプレックス」が、いまの自分をつくっているといえそうです。
なぜこんなことを急に思ったのかというと、最近また新たな帰国子女に出会ったからなんです(笑)
それで私のコンプレックスがまた強烈に刺激されたわけです😂
「自分を活かせるやり方で闘うしかない」
私はこう自分に言い聞かせています。
きっとこのコンプレックスからは一生逃れられないでしょう。
しかし、このコンプレックスがあるおかげで、<自分にはどういう闘い方が向いているのか>についてじっくりと考えることができたのかもしれません。
オリンピック選手たちも、きっと<私にあと◯◯が備わっていれば。。。>とコンプレックスに悩まされてきたんだろうなと想像します。
特に日本人は小柄ですから。
あともう5センチ足が長ければ。。。とかありそうじゃないですか?
でもそのコンプレックスをバネに自分なりの戦い方を編み出してきた結果、いまがあるのかもしれない。
そんなふうに思うのです。
オリンピック選手と自分を重ね合わせるなんておそれ多いですが。
かのスーパービーグル犬、スヌーピーも言っています:
「配られたカードで闘うしかないんだよ」
自分なりに、これからも闘い続けたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
皆さん、良い一日をお過ごしくださいね😊
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