『スター』朝井リョウ~一般人がスターになれる時代。
朝井リョウさんって本当に天才。
朝井さんの作品を読む度にため息がでます。
先日、娘の悩みにうまく答えられないという記事を書きましたが、今回読んだ『スター』は、偶然にも娘の悩みに答えてくれる内容でもありました。
もちろん、<A=B>とういような解答が導き出されているわけではありませんが、「こう考えたら自分がラクになるのではないか」というヒントが与えられている気がしました。
というわけで、今日は朝井リョウさんの『スター』のあらすじをネタバレなしでご紹介していきたいと思います。
もしよかったら、上に載せた過去記事に先に目を通してからこの先をお読みいただけたらと思います。
『スター』朝井リョウ あらすじ
題名や表紙から、「芸能人もの?」「スターを夢見る子供たちの話?」と思われるかもしれませんが、違います。
映画づくりや動画制作に携わる二人の若者の葛藤がテーマです。
本物志向 VS 感覚派
この物語の主人公は、尚吾(しょうご)と紘(こう)。
二人が大学3年生のときに共同監督した作品が、名誉あるフィルムフェスティバルでグランプリを獲得する。
<次世代スター>と称賛された尚吾と紘。
物語はここから始まり、その後の二人の選ぶ生き方や、その中で抱く葛藤が描かれていく。。。
尚吾(しょうご)は映画好きの祖父の影響で、幼い頃から世界の名作を鑑賞するような環境にあった。
祖父の口癖は「質のいいものに触れろ」だったことから、尚吾は「本物」や「質の良さ」にこだわりをもっているタイプだ。
一方の紘には、尚吾のいう「質のいいもの」という言葉がピンとこない。「質がいいって誰がどうやって決めるの?」という感じだ。
紘は尚吾に比べるともっと感覚的。小さな島育ちの紘にとっては、「地元の海や山をどうやったらもっとかっこよく撮れるか」ということが大切なことだった。
上京し、尚吾と組んでからも「自分がかっこいいと感じたものをかっこよく撮る」をテーマに活動を続けている。
<本物志向>VS<感覚派>
こんな二項対立をもとに、物語は進んでいく。
弟子入り VS YouTuber
卒業後、尚吾は日本が誇る名映画監督のもとで、映画監督になるための修行を始める。
修行期間は3年間で、その間に独り立ちできる目処がたたないとお先真っ暗という厳しい環境だ。
尚吾は来る日も来る日もオリジナル脚本の執筆に没頭し、師匠である監督に目を通してもらうが、返ってくる答えはいつも「これでは世に出せない」というもの。
失意のどん底に堕ちた尚吾は気付くと書店の中をさまよい歩いていた。
目に入る本たちはすべて「世に出ている」。
その中には自分の脚本よりも質が劣っているものもあるだろう。というより、ほとんどが劣っているのではないかとさえ思う。
それなのに、これらの作品は「世に出ている」。
鬱々とする尚吾だったが、そう思うには実は別の理由があった。
紘がYouTube動画の制作に携わり、その動画がバズを起こしているのを知ってしまったからなのだ。
紘が作っている動画はお世辞にも高品質ではないが、登録者数も再生回数も驚くほどの数字を示している。
自分より先に「世に出て」注目を集めている紘のことが、尚吾は面白くない。
そんな尚吾に先輩がこう言う。
「どっちがいいんだろうなってことだろ(中略)俺たちは、世に出られるハードルが高くて、だからこそ高品質である可能性も高くて、そのためには有料で提供するしかなくて、ゆえに拡散もされにくい。大井戸君(紘のこと)は、世に出られるハードルが低くて、つまり低品質の可能性も高くて、だけど無料で提供できるから、ガンガン世の中に拡散されていく」
先に世に出た紘に嫉妬する尚吾だったが、実は紘は紘で悩んでいた。
紘は自分が許容できる範囲で質的な妥協点を見つけながら、週に4本ほどYouTube動画を投稿していた。
しかし、収益に目が眩んだ雇い主から「毎日投稿」を命じられたのだ。
その雇い主は、視聴者なんてどうせ動画の質の良し悪しなんてわかりはしないのだから、とにかく自分たちの動画を視聴者たちの目に毎日触れさせることが大事だというのだ。
動画の質なんてどうでもいい。収益を増やすことが最重要だという雇い主だが、紘はこれ以上クオリティを下げられないと反論する。
反論された雇い主はさらにこう付け加える(下線はブログ筆者による)。
「俺、YouTube始めて、こんな天国みたいな世界があるんだなって思ったよ。そのときの自分にとっての百点が求められているわけじゃない。毎日投稿してること自体をすごいって言ってくれる人がいる。動画長くして広告いっぱいつければ実入りは増える。ないものをあるように見せられるし、そういう奴でも勝ち続けられる」
「ないものをあるように見せる」
上に引用した文章の最後にある「ないものをあるように見せられる」というのは、「実は中身がない」ということを指しています。
YouTuberやインスタグラマーの中には、「で、結局この人ってなにができる人なの?」「なんの専門家なの?」っていう人もいると思います。
特になにかに長けているわけではない人であっても、そこに視聴者やフォロワーという「人垣」が出現すれば、「ないものをあるように見せられる」ということなのでしょう。
尚吾と紘は、相手の活躍を目にする度に、心穏やかではなくなります。
相反する世界にいる二人にとって、<相手の活躍=自分の選択は間違っていた>ということになりかねないからです。
さすがの朝井リョウさん、このあたりの登場人物の葛藤が手に取るように伝わってきます。
逸材 VS 凡人
ところで尚吾と紘は、大学生のときに有名なフィルムフェスティバルでグランプリを獲得しており、誰がどう見ても「逸材」なわけです。
この本に関心をもった人の中には、「でも結局、逸材 VS 逸材の話だよね。自分には関係のない世界だわ」と読むのをやめてしまう人もいるかもしれません。
ですが、朝井リョウさんの上手いところは、いわゆる凡人も登場させているところです。
その凡人は尚吾と紘が所属していた映画サークルの後輩。
彼は二人の才能を間近で見せつけられていたせいで、自分が映画の世界で生き残るには、別のやり方を取るしかないと考えるようになります。
ネタバレになってしまうので、この後輩がどのような選択をしたのかについては触れませんが、彼が抱くコンプレックスやなんとか自分の居場所を見つけようともがく姿を見ていると、いろんなことを考えさせられます。
それともうひとり、この物語に欠かせない人物がいます。
それは、尚吾と一緒に暮らしている恋人です。
彼女は尚吾と同じように「本物」を目指している向上心の塊のような女性。
彼女は料理の世界で「本物」になろうと有名シェフの店に弟子入りして奮闘しています。
物語の終盤で、この彼女が尚吾に語る話がとっても深い!
私は読み終えた後もそこだけ何度も読み返してしまいました。
私はこの物語を最後まで読んで、さまざまな情報が猛スピードで駆け抜け、何が正解なのかがもはやわからないこの世界を生き抜くには、どういう心構えでいたらよいのかが少しわかったような気がしました。
朝井リョウさんはすごいです。
毎度毎度、感嘆させられっぱなしです。
彼こそが「本物」ということなのでしょう。
誰が「本物」と決めるのか…
読者がそう思ったのなら、その読者にとってその作家は「本物」だということで良い気がします😊
すっかり長くなってしまいました。
この作品は本当~に、読んだほうがいいです!
特に、自分にとって譲れないものがある人や、YoutubeやSNSといったものに疑問を抱いている人にお勧めします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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