京都歩きと開運メモ

~50歳からの毎日を楽しむ~

周りの人たちはみんなサブキャラ。

ノーベル賞を受賞された真鍋淑郎氏は、アメリカ国籍にした理由を問われると次のように答えました。

 

「日本人は非常に調和を重んじる。他人を気にして、他人を邪魔するようなことは一切やりません。アメリカでは他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしい。私はまわりと強調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由のひとつです」(部分的に取り上げた引用となります)

 

なるほどと思いました。

 

自分の好奇心の赴くままに研究に勤しむには、アメリカの方が適しているということなのでしょうね。

 

日本人はたしかに「調和」を重んじます。

 

人と違うことを恐れ、他人から後ろ指をさされないように「無難」に生きる傾向があるような気がします。

 

アメリカがどんな国なのか、私は実体験としては知りませんが、テレビ等の情報によれば色んな肌の色をした人がいて、日本ではまずお目にかかれないような大きな体をした人がたくさんいることからも、「これがふつう」というものがないのかもしれないなと思いました。

 

日本ではよく「ふつうはそんなことしない」などという言葉をよく耳にします。

 

実態があるのかないのかよくわからない「ふつう」というものに、がんじがらめにされている気が昔からしています。

 

「ふつう」からはみ出すと途端に叩かれますしね。

 

「無難に」「ふつうに」「目立たずに」

 

これが日本人に浸透している意識である気がしています。

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真鍋さんのお話を聞いていて思い出したのが、新卒で就職した会社にいたある先輩社員のことです。

 

その人は、私と同じ部署の2歳上の男性で、私のちょうど真ん前の席に座っていました。

 

180センチを超える大きな体を揺らしながら、いつもせわしなく動き回っていた彼。

 

せわしなく動き回っていたのは、アクティブに仕事に取り組んでいたからではなく、椅子に腰掛けてじっとしていることができなかったからです。

 

私の部署では、終日デスクに腰掛け、コンピューターに数字を打ち込んだりワープロで文書を作成することが求められていました。

 

そんな業務内容であるにもかかわらず、その先輩が椅子に座っていることはほとんどありませんでした。

 

何をしていたのかというと、他部署をウロついては女性社員に話しかけ、井戸端会議を楽しんでいたのです!

 

驚くほどおしゃべりな男性で、話題が尽きない人でした。

 

私は正直なところ彼を軽蔑していたので、あまり相手をせずに黙々と仕事をこなしていました。

 

上司たちも彼を見限っていて、重要な仕事は任せていなかったと思います。

 

 

私は心のなかで「あの人、周りからどう思われているかとか気にしないのかな?軽蔑されてること、気付いてるのかな。周りなんて、どうでもいいのかな」と思っていました。

 

ある日、その先輩と話す機会があったのですが、私の心の中を読んでいたかのように、彼はこんなことを言い始めました。

 

「俺はさ、周りの人にどう思われてもいいんだよね。きっと上の人達も俺のこと「仕事しないダメなやつ」「給料泥棒」と思っているだろうね」

 

「でも別に気にならないんだよね。だって、俺の人生の主役は俺で、周りの人達はみんな俺が主人公であるストーリーを盛り上げるためのサブキャラでしかないんだから。サブキャラになんて思われようと主役の俺は痛くも痒くもないんだよ」

 

 

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あまりの発言に心の底から驚いた私は、「ってことは、私もサブキャラってことですか?」とたずねてしまいました。

 

すると先輩は、「うん、そういうこと」とひと言。

 

私は呆然としてしまいました。

 

なんというエゴの塊!

 

給料をもらっている身分でありながら、義務を果たそうともせずにのらりくらりとさぼってばかり。

 

そんな自分を恥ずかしげもなく「主人公」と言い張り、彼に迷惑をかけられている上司や私たちのことを「主人公を盛り上げるためのサブキャラ」扱いするだなんて!

 

 

ほどなくして私は転職のためにその会社を辞めました。

 

風のうわさで、その先輩はある大きなお寺の一人娘と見合い結婚し、住職になると言い残して退社したと耳にしました。

 

 

 

なぜかわかりませんが、たまーにその先輩のことを思い出します。

 

今回は、上述した真鍋さんの言葉を聞き、思い出しました。

 

もちろん真鍋さんとその先輩とでは、人間性や能力の面で比較にならないほどの差異があることはわかっていますが、「いかなるときでも自分を中心にして考える」という点は同じだなと感じたのです。

 

若かった頃はその先輩には呆れっぱなしでしたが、最近ではあの先輩の言葉にも一理あるような気がしています。

 

この人生の主役は私であって、周りは私の人生のストーリーを盛り上げるためのサブキャラ

 

こう割り切れたら、生きるのがずいぶんとラクになるように思えるのです。

 

嫌なことがあったとしても、「サブキャラがなんかほざいてるわ」「サブキャラに石投げられたけれど、サブキャラにすぎないんだからそのうち消えてくだろ」と思えたら、自分のやるべきことに集中できる気がします。

 

 

皆さんは、どう思われますか?

 

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

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