成果主義を脱ぎ捨てようと思う。
先日ご紹介したオリラジ中田さんのYouTube動画の中で特に心に響いたのが、HSPが幸せになるためには、成果主義から一歩外に出ることが大切だという箇所でした。
ここでいう成果主義とは、自分は何かしらの活動をしてはいるけれど、それによってお金を生み出していない。だから、自分のやっていることは無駄で非生産的だと考えることを意味します。
私も人から「○○やってるんだ、すごいね!」などと言われると、
「うーん、でも1円にもなってないから(^_^;)」と答えてしまいがちです。
心のどこかで、
お金を稼いでいる=すごい
稼げていない=非生産的なことをしている
という思いが根を張っているのです。
誰かのせいにするのはよくないとは思うのですが、これは母親からの影響が大きい気がしています。
昔から、「マリベルちゃんのやってることは確かにすごいんだけど、1円にもならないよね」
事あるごとに、こんなふうに言われてきました。
逆に亡き父は、「私のやってることは1円にもならないから…」と自虐めいたことを言うと、
「別にいいじゃない。そのまま、がんばれ」
と言ってくれていました。
それでも母親と過ごす時間が圧倒的に長かったこともあり、「稼ぎに結びつかない行動は無駄」という意識が根付いたように思います。
しかし、中田さんの説明にあるように、そんなふうに思っていたら楽しんで何かに取り組むことができなくなってしまいます。
私がやっている非生産的な活動は、このブログとYouTubeです。
ブログは微々たるものではありますが、少しは収益があります。しかし、費やしている時間と労力を考えれば、とんでもなくコスパは悪いわけです。
そのうえ、YouTubeの方は収益化まで途方も無い時間がかかりそうです。
それでもブログを書いたりYouTube動画を撮影しているときはとても楽しいのです。
自分で撮影した動画を公開するときはいつもドキドキしますし、良い反応が返ってきたときには純粋に嬉しくなります。
アウトプットしているときって、自分という小さな存在が、なんらかの形で社会に貢献できたような気がしてくるんです。
これはインプットだけしているときには生じない気持ちです。
インプットばかりしているときは逆に、「こんなに情報や知識を自分の頭に詰め込んだところで、私が死んだらすべて終わりなんだよね」と思えてきます。
それならアウトプット活動に精を出した方が、何かしらの形で誰かの役に立てる気がするのです。
まぁ、歳を取ったからこんなふうに思うのかもしれませんが…
中田さんがいうように(というか、繊細さんの本の著者がいうように)、自分のやっていることが生産的かどうかなんて考えなくてもいいから、心の思うままにアウトプットしていけばいいのかなと思うようになりました。
「成果主義を脱ぎ捨てる」
難しいようにも思えますが、心がけ次第で十分にできると思います。
私の場合は、
人を煽り立てたり、マウントを取ってくるような情報は見ない。
これを心がけています。
例えば、ビジネス系の動画や、自慢系インスタなどは見ないようにしています。
他人のことは気にせず、自分がやりたいことを淡々と続けるのみ。
これが一番大事なんだと思います😊
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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